遙、十七歳
2010-06-12


「あ〜、テトラポット登って〜」
 潮の香りに誘われて海が見える場所に出ると、綺麗な歌声が聞こえてきた。
「てっぺん先睨んで、宇宙に靴飛ばそう〜」
 消波ブロックの上で、一人の少女が歌を歌っている。歳は十七、八くらいだろうか。この歌は、確か――最近流行っているaikoの『ボーイフレンド』だったような気がする。
 青い海と白いワンピース。澄んだ秋の大気ならではの目の覚めるような青と白のコントラストに、俺は目を奪われる。すると少女が歌を止め、静かにこちらを振り向いた。
 目が合った瞬間、胸がキュンと締め付けられる。それが、俺と遙との出会いだった。

 一目ぼれ、というのだろうか。
 不思議なのは、少女の方も俺のことを見初めたような様子であったことだ。
 まるで、道端の石ころの中からキラキラと光る宝石を見つけたような――そんな瞳で少女は俺を見つめてきた。
「私の名前は遙。あなたを待っていた」
 遙と名乗るその少女とは初対面のはずだったが、どこか懐かしい既視感に囚われる。
「君は俺の事を知っているのか……?」
 それは同時に俺自身への問いでもあった。俺は君の事を知っているのか?
「ええ、ずっと昔から」
 彼女の言葉を信じるなら、二人は子供の時に会ったことがあるのだろう。俺はそれを忘れてしまっているのだ。
「あなたは今年で十七歳。私と同じ歳になった」
 遙は俺の歳を言い当てる。しかも確信を持って。きっと幼馴染だったに違いない。俺が生まれた昭和二十二年は、戦後のゴタゴタで日本がまだ落ち着いていなかった時代。子供にとって色々なことがありすぎて、彼女との出会いを覚えていられる余裕がなかったのだろう。

 十七歳同士の俺と遙は、すぐに意気投合した。そして俺は遙をデートに誘う。
 行先は――子供っぽいとは思いながら『ガメラランド』を選んだ。そこは、俺が生まれた年に公開された特撮映画『大怪獣ガメラ』に因んだテーマパーク。カメの甲羅を思わせる巨大なドームが特徴的で、『巨大カメランド』と揶揄されることが多いが、最近完成したデートスポットとしてなぜかカップルに人気があった。
 その理由は、ガメラランドに入るとすぐに分かった。甲羅状のドームは昼でも薄暗く、カップルがいちゃつくにはちょうど良い雰囲気なのだ。俺も他のカップルにならい、アトラクションを待つ間、遙の手をそっと握る。
「あなたの手、昔と変わらない……」
 驚く様子もなく、指を絡めてくる遙。まるで俺の手の感触を確かめるかのように、何度も指を行き来させている。俺は温かくなる胸の奥の感触を逃さないように、ぎゅっと遙の手を握り返した。
 二人乗りのボート型アトラクションに乗ると、俺は勇気を出して遙の肩を抱いた。すると遙も俺に体を預けてくる。華奢で柔らかい遙の肩の感触。俺は彼女を抱きしめたい気持ちで一杯になった。
 夕食までアトラクションを楽しんだ後、ドームを出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
 ドンドンドン!
 突然、花火の轟音が響き渡る。見上げると、花火を用いて動物、鳥、昆虫たちが夜空に描かれていた。
「綺麗ね、夜の蝶も……」
 夜空を見上げる遙の瞳にも、花火がキラキラと写っている。俺はそっと彼女を抱き寄せ、静かに唇を重ねた。

 恋に落ちた十七歳の俺と遙が、さらに親密な関係となるのは時間の問題だった。
 終戦翌年の日本は、どこもかしこも衣食住が乏しい状態。両親のいない独り身の俺は、川辺のバラックで生活していた。
「豚小屋みたい」
 初めて俺の家を見た遙はそう言った。
「雨が凌げるだけまだマシさ。稼いで稼いで、そのうち豪邸に住んでやるんだ。お前と一緒にな」
 俺が拳に力を入れると、遙は穏やかな笑顔を見せてくれた。
 夜になると、家の中を照らすのはロウソク一本だけ。ほのかな灯りの中で露になる遙の柔肌は、この世のものとは思えないほど美しかった。俺は、バラックが軋みを上げるのも構わず、遙を愛し続けた。


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