2010-09-13
「♪桃栗千日、柿三千日〜」
包丁を使ってナスを切っている千秋の口から、楽しげな歌が流れてくる。
「なんだ、その歌は? 『桃栗三年、柿八年』の間違いじゃないのか?」
「先輩、古いですねぇ。今は日数でカウントする時代なんですよぉ」
おいおい、いつからそんな時代になったんだよ?
「じゃあ、人は三万日か?」
「ざんねーん先輩。人は一万一千日ですよぉ。だってこの歌に出てくるのは、芽が出てから実がなるまでの期間じゃないですかぁ。最近、第一子を出産する女性の平均年齢は三十を超えようとしているって話ですよぉ。ダメですよね、そんなことじゃ。先輩もそう思いません?」
千秋が上目遣いで俺の目を覗き込んでくる。もしかして、俺に何かを期待してるんじゃないだろうか。
「私も、もう一万日なのになぁ……」
さりげなく私は呟いてみる。
そんな私のメッセージを雅幸先輩は気付いてくれたかな?
来月で、先輩と付き合い始めてから五年。そろそろプロポーズしてほしいと思っているんだけど、ちっともそんな素振りを見せてくれない先輩にちょっと不安になっている。
「ところでなんでこんなに沢山のナスを持ってきたんだ?」
俺はため息交じりで千秋に聞いてみた。
彼女は何処からか持ってきたナスを、俺のマンションのキッチンに所狭しと並べている。
「私の職場で育てているんですよぉ。『木炭ナス』って品種なんですぅ。木炭に加工しやすいナスを開発して、温暖化対策の目玉商品として売り出そうと開発してるんですよぉ。ほら、木炭って元は大気中の二酸化炭素じゃないですかぁ。その重さの分だけ、二酸化炭素を減らしたことになるんですよぉ」
温暖化対策か何かは知らないが、食べたらダメだろう、食べたら。
「先輩、そんな怪訝な顔をしないで下さいよぉ。名前は『木炭ナス』だけど、ちゃんと食べれるんですからぁ」
とかなんとか言って、千秋の会社の失敗作品の大量在庫なんじゃないのか?
「本当に食べれるの? ただの売れ残りなんじゃないの?」
俺が悪態をつくと、千秋は少し不機嫌になった。
う、売れ残り!?
私に売れ残りの烙印を押している張本人は誰だと思っているのよ、先輩。
さっきの呟きも、全然気付いてくれてないみたいだし。
そんなことをぶつぶつと考えていたら、だんだんナスが切れなくなってきたよ。
砥石はどこにあるのだろう、と台所を物色していたら――黄色くて硬い物体を発見した。これなら包丁が砥げるかもしれない。
「せんぱーい、これで包丁を砥いでいいですかぁ?」
私がその黄色い物体を顔の前にかざすと、リビングに居る先輩の顔色がさっと変わる。
「だ、ダメだ、それに触っちゃ!」
おっと、先輩の秘密を発見しちゃったようね。
「ふふふふふ。これって、何か大切なものみたいですねぇ。先輩が正体を教えてくれないのなら、私の会社で分析してもらっちゃおうかなぁ。結婚してくれるのなら考え直してもいいですけどぉ」
「分かった、正体を教えるから、それだけはかんべんしてくれ」
えっ、それだけはって結婚する気ナシってこと? 何気に一生分の勇気を振り絞った台詞だったんだけど、これは落ち込むわ。
「それはチーズなんだ」
チーズだろうが、砥石だろうが、もうどうでもいいんですけど……
「俺の会社で開発している特殊なチーズなんだよ。醗酵時に生じる二酸化炭素を即座に固定してしまう菌を開発したんだ。だからそんなに硬いんだ」
何が何だかよく分からないけど、二酸化炭素を固定って、私の会社の『木炭ナス』と同じじゃない。
「それって、温暖化対策ぅ?」
「そう、温暖化対策。だから千秋、今の会社を辞めて俺の会社に来ないか? 俺が一生面倒見るから」
えっ、今先輩何て言った? 一生面倒見るって言ったよね。やったーっ!!
千秋が満面の笑みで俺に抱きついてきた。
そして俺たちはいつものようにキスを交わす。
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