青赤えんぴつ
2020-01-14


――終わりがくれば、それは始まりに変わる。
 当たり前のことだと思うんだけど、こんなにも意識したのは初めてだ。
 それもこれも、あいつが紹介したバイトのせい。幼馴染のあいつのせいだ。


「おーい、ニョリ!」
 こんな風に私のことを呼びながら、背の高いあいつは飄々と学校の廊下を歩いて来る。
 だ・か・ら、この名前で私のことを呼ぶなって。
 順風満帆だった高校デビューが台無しになっちゃうっての。
「ちょ、ちょっと、ワリト。学校でそんな風に呼ばないでって何度も言ってるじゃない」
「えっ? 教室じゃないからいいかと思った」
 私が投げつけた苦言にキョトンとした表情を浮かべる幼馴染は、糸冬和理人(いとふゆ わりと)。
 ――和を理解する人。
 たしかそんな由来だった。子供の頃からおばさんが何度も何度も自慢げに語ってくれたのは。
 ねえ、自分の名前の由来をちゃんと理解してる?
 特に『和』だよ、『和』。私の心の平和を乱すようなあいつの行動は許せない。
「ダメダメ、絶対ダメ。教室じゃなくても学校じゃダメ!」
「えー、ニョリって名前、いいと思うけどな。女台真理(にょだい まり)で略してニョリって、みんな一発で覚えてくれるよ」
 なるほどと相槌を打つ周囲の生徒の表情。
 しまった、こんな公の場であいつに語らせるんじゃないかった。せっかく知り合いの少ない高校に入学したというのに、あだ名がまたニョリになっちゃうじゃない。
 しかし後悔先に立たず。ニヤニヤと表情を崩す生徒たちに絶望感を抱いた私は、くるりと踵を返す。
「もう、知らないっ!」
「ちょ、ちょっとニョリ。呼び止めたのは話があるからなんだけど」
 がしっと腕を掴まれて私は動けなくなった。
 あいつ、こんなに力が強かったっけ? 今もひょろひょろしてるのに。
「放課後。話は放課後にしてよ、わかった? だったら手を離して」
「なんだよ、冷たいなぁ。じゃあ、桜のベンチで待ってるから」
「ええ。そこでお願い」
 高校に入学してから二週間目。
 この日を境に、私の高校生活が一変するとは知らずに――


  ◎ ◎ ◎


 まだ履きなれない新しいローファーに足を突っ込み、前のめりになりながら昇降口を出ると、高度を下げた春の太陽の光が目に飛び込んでくる。目の前は校庭、左を向くと校門。そこへ続く桜並木では、ピンクの花びらを夕陽がさらに赤く染めていた。
 桜の下のベンチ。
 並木道から少し引っ込んだ桜の木の裏側に並ぶその場所は、生徒の憩いの場になっていた。
 その中の一つ。ゆったりとした木製のベンチ。一人で本を読むワリトの頭の上に、ひらひらと花びらが舞っている。
 『おーい、ワリト』と声を掛けそうになって私は慌てて口を閉じた。『遅いよ、ニョリ』なんて返された暁には、さらに私のあだ名が広まってしまうから。帰宅する生徒のピークは過ぎているが、パラパラと通り過ぎる生徒たちに聞かれたくはない。
 だから私は、ベンチの後ろからそっと近づいた。
「何、読んでるの?」
「!?」
 突然背後から声を掛けられたワリトは、驚いて立ち上がろうとした。
 急に目の前に迫る後頭部。私は避けきれずに、額に強い痛みが。
「痛ぁ!」
「うげっ!?」
 爆発しそうな痛みに額を手でおさえながら、私は振り向くワリトを睨みつける。舌を噛まなくて本当に良かった。
「何やってんのよ!」
「何やってんのじゃないよ。驚かしてきたのはそっちじゃんか」
 ワリトも、しかめっ面で後頭部を抑えている。
 確かにそうなんだけど……。
 素直にゴメンと言えずに、私はつい憎まれ口を叩く。
「いや、でもね、そうよ、ワリトが話があるって言うからこんなことになったんじゃない」
「いやいや、ニョリが先に謝れ。全面的にニョリが悪い」
 だから、ニョリニョリ言うなって!

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