右サイドを駆け上がれ!
2020-05-17


そう言ったかどうかはわからないが、走り込んできた華羽選手はニヤリと笑うと小さくジャンプした。亜麻色のポニーテールを揺らしながら、背番号2からのセンタリングを頭で合わせる。
 ゴールの左上隅に向かって、鋭くコースを変えるボール。ゴールキーパーの右手をすり抜けて、見事にネットを揺らした。
『ゴール!!!』
 スタジアムが湧き上がる。お客さんも総立ちだ。
 私も立ち上がって、スタジアムに連れて来てくれたお父さんとハイタッチ。すごいすごい、こんなプレーが間近で見られるなんて。本当に胸のドキドキが止まらない。

 ピッチでは、華羽選手が背番号2と抱き合っている。
 ――遠賀ゆりこ(おんが ゆりこ)、背番号2。
 なでしこリーグ一部のチーム『芦屋INCA』に所属する不動の右サイドバックだ。
「すごい! 私もあんなプレーがしてみたい。あんな選手になりたい!!」
 彼女はその日から、私の憧れの選手となった。



      〇  〇  〇



「まったく、もう、やってられないよ……」
 あれから五年。
 高校生になった私、立花芽瑠奈(たちばな めるな)は、憧れの名門サッカー部への入部という夢を手に入れた。
 ――黄葉戸学園女子サッカー部。
 高校女子サッカーのタイトルを十個も持つ、日本でトップクラスの部活だ。

 が、いざ入部してみると、現実の厳しさを痛感する。

 部員数は五十名。
 一方、試合でピッチに立てるのは十一名。
 つまり五倍弱の競争を勝ち抜かないとレギュラーにはなれないってこと。

 でも私には強力な武器があった。
 それは持久力。一五〇〇メートルを四分半で走ることができる。
「なに、ずるい。一種のチートじゃん。陸上部としてインターハイに出れるよ、それ」
 同じクラスで一緒に入部した麻由にもネチネチと言われたものだ。
 だから、私はすぐにレギュラーの座を手にできると思っていたのに……。

「はぁ……」
「メル、いい加減にやめなよ。ため息、もう十回目だよ」
「麻由はこの状況に満足してるの? 私たちがこれを引っ張っていることに!」

 それは重いコンダラ……じゃなくて、重いローラーだった。

「ローラーだけど?」
「ローラーだけど、じゃないよ」
 相変わらずの麻由の天然ぶりに私は呆れる。
「えっ? メルはこれがローラー以外のなにかに見えるの?」
「いやいや、サッカー部でローラーはおかしいでしょ? スポ根野球漫画じゃあるまいし」
「部活の後でグラウンドにローラーかけるのは普通じゃん。私たち、まだ一年生なんだし」

 そんな無邪気な麻由の横顔を、初夏の夕陽が照らしている。
 今年は世界的なウイルス災害のため入学式は中止、学校や部活に通えるようになったのは六月からだった。
 私は「はぁ」と今日十一回目のため息をつく。
 
「麻由ってお気楽でいいよね。いい、サッカーはそもそも芝生でやるものなの。土のグラウンドじゃないの」
「しょうがないじゃない。高校の部活なんだし」
「しょうがないじゃないよ。ここは天下の黄葉戸学園なんだよ。全国のサッカー少女が憧れる聖地なんだよ。ていうのに、土のグラウンドってありえないよ」

 名門なのに、という理由だけじゃない。
 そもそも私は土のグラウンドが嫌いなのだ。
 スパイクはすぐすり減るし、ボールの痛みも激しいし、練習は埃っぽくってショートの髪はいつもバキバキ。それに土のグラウンドでいくら上手くなったって、試合が行われるのは芝。練習で上手くいくことが本番でも上手くいくとは限らない。まあ、本番に出られるチャンスがあれば、の話だけど。

「中学まで通ってたクラブだって人工芝で練習してたっていうのに……」
 私が十二回目のため息をつこうと麻由を向くと、いつもお気楽な彼女の表情が強張っている。

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