レストラン青山
2007-11-19


「あれマダムじゃない?レストラン青山の」
 満員バスの中で、よう子が僕の脇腹をつつく。
「似てるけど…、こんなバスに乗るか?高級フランス料理店のマダムが」
 バスはサッカースタジアムに向かう人達で一杯だ。
「でも、車で来た人って全員このバスに乗るんでしょ?」
 そうだった。どんな高級車で来ても、駐車場からこのバスに乗る羽目になる。
 普段は決して交わることのないセレブと庶民。
 プチローマの休日のような再会に、心がざわめく。

「あのう…、失礼ですが…」
 ご婦人の席まで移動し、僕は意を決して声をかけた。
 やはりマダムだった。
「結婚式ではお世話になりました!」
 僕とよう子の声がそろった。

 僕達は青山で結婚式を挙げた。
 マダムが新しく建てた、結婚式用の別館で。
 当時、レストラン業界はブライダルブームだった。
 しかしブームが去った後、その別館は無くなった。
 偶然青山に寄った僕は、跡地を見て呆然とした。
 店の都合で、自分達の人生が弄ばれたような気がした。
 そのことをマダムに問いてみたい。
 世間話をしているうちに、僕はその衝動を抑えきれなくなった。

「私も残念だったの。いろいろあってね…」
 悲しそうにマダムは俯いた。
 これ以上聞いてはいけないと、消えた笑顔が語っていた。

 結婚式の当日――
「良かったですね、いい天気になって」
 そう言いながら、マダムは中庭の屋根を開けてくれた。
 見上げると、東京とは思えない青空が広がっている。
 よう子はその日差しの中を、今は亡き義父に連れられて僕の元へやって来た。
 白く、まぶしい、そんな記憶だ。

 バスがスタジアムのゲートをくぐる。
 プチローマの休日も、あと少しで終わりだ。
 僕は何をこだわっているのだろう。
 マダムは僕達に、素敵な想い出をくれたじゃないか。
「子供達が大きくなったら、みんなで本館に食べに行きます」
 そう宣言すると、マダムは顔を上げた。
「お待ちしています」
 スタジアムの歓声が突然止んだような、そんな気がした。


こころのダンス文章塾 第20回記念企画「旨いもの」宿題
[文章塾]
[家族の風景]

コメント(全8件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット