そつ・わざ
2015-10-15


「ようこそ、結婚相談所、『卒業(そつわざ)』へ」
 古びたビルの二階にあるドアを開けると、明るい女性の声が小さな事務所に響く。
 ネットで評判になっている結婚相談所。小さいけど、アフターケアが充実しているという噂だ。
「そつわざ? ここの名前って、『卒業』と書いて『そつわざ』って読むんですか?」
「そうなんです。ウチは『卒』を極める相談所ですから。申し遅れました、私が所長の刈谷茜です。どうぞ、こちらへ」
 元気の良い小柄な女性は、私を個室に案内した。
 というか、所長直々に対応してもらえるなんてラッキー。これは幸先良いかも、と私は個室のソファーに腰掛けた。

「申し訳ありませんが、先にウチの相談所の説明をさせて下さいね」
 私が小さく頷くと、茜所長は紙とマジックを持って向かいのソファーに腰掛ける。
「先ほども申しましたように、ウチは『卒』を極めるために設立した相談所なんです」
 そう言いながら、茜所長はマジックのキャップを取り外す。
「まず、『卒』という字を思い浮かべて下さい」
「卒、卒、卒……」
 私は頭の中に『卒』の字を描く。
「実はですね、この文字の土台はやじろべえでできているんです」
 えっ、やじろべえ?
 驚く私の前で、茜所長は紙に大きく『十』の字を書く。
 そうか、『卒』の字の下の部分は、確かに『十』の字になっている。それを『やじろべえ』と表するなんて、この所長、なかなか面白い。
「そして、やじろべえの上の右と左に『人』が一人ずつ乗っています」
 へえ、確かにやじろべえの上に人が二人乗ってる。
 私は感心しながら、茜所長の前の紙に『卒』の字が組み立てられていく過程を眺めていた。
「最後に『亠(やね)』を乗せて、一つの家の中に入ります。これが私どもが考える結婚なんです」
 そして茜所長は、完成した『卒』の字が私の方を向くように、紙をクルリと回した。

「さあ、この字をよく見て下さい。どんな感じがしますか?」
 どんな感じって……?
 いきなり言われてもすぐには答えられないけど、さっきの『やじろべえ』って説明は興味深かったかも。
「土台がやじろべえっていうのは、面白いですね」
 すると、茜所長は瞳を輝かせる。
「そうなんですよ、そこが『卒業(そつわざ)』の原点なんです」
 そして茜所長は再びマジックのキャップを外す。
「例えばですね、片方の『人』を大きくしてみますね」
 茜所長は、右側の『人』の字をマジックでなぞって太字にする。
「どうです? どんな感じがしますか?」
 右側の『人』だけが太く大きくなり、『卒』の字がすごくアンバランスになってしまった。
「なんだか、右側に倒れちゃいそうですね」
「そうです、そこです!」
 興奮気味に指摘する茜所長。どうやらこれが、彼女の言わんとすることらしい。
「どちらかの『人』が大きくなってしまったら、結婚生活はバランスが崩れてしまいます。『卒』という字を保つためには、微妙なバランスが必要なんです。それを維持し続けることを、私どもは『卒業(そつわざ)』と呼んでおります」
 へえ、だからこの相談所はアフターケアが良いって評判なんだ。
 それに、やじろべえの上に『人』が二人なんて、私にぴったりの相談所だよ。
 私はもっと、この相談所のシステムについて知りたくなった。

「所長にちょっとお聞きしたいのですが、その『卒業(そつわざ)』ではどうやって二人のバランスを維持しているのですか?」
 私は単刀直入に茜所長に訊いてみる。
 普通の結婚相談所は、二人を引き合わせるところで終了だ。良心的なところでも、面倒を見てくれるのは結婚式までだと思う。それなのに、この相談所では二人のバランスを維持し続けることがモットーらしい。だから、そこまでケアしてくれる方法が知りたかった。もしかしたら、ものすごく値段が高いのかもしれない。
「そうですよね、それって知りたいですよね?」

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