2015-10-28
母は、いつも海を見ていた。
海辺に建つマンションの自宅のベランダで、夕焼けの海を眺め続ける小柄な背中。
そんなシルエットが、俺の記憶の中の母だった。
母は海を前にして、どんなことを考えていたのだろう。
人生の苦難? 平凡な日常を過ごす苦痛? 父親が居ない俺のことを育てる苦労?
母が失踪した時、俺の頭の中を占領したのはそんなネガティブな事ばかりだった。
しかし俺は知る。
海を眺めながら母が思い浮かべていたのは、あの海を再び訪れたいという願いだけだったことを。
それを教えてくれたのは一人の女子高生だった。
市野瀬美月(いちのせ みづき)。
十六の春、俺、双場海人(ふたば かいと)は彼女に出会った。
◇
高校に入学したとたん母親が失踪した時は、俺の人生どうなっちゃうんだろうと思ったが、マンションのローンは完済されていたし、銀行にも十分過ぎるほどの貯金があったので、母親探しは警察に任せて俺はそのまま高校に通い続けることにした。
初めての一人暮らし。
最初は慣れないことも多かった。
洗濯、掃除、ゴミ出し、時には炊事。貯金も無限じゃないからバイトもしなくちゃいけない。
当然、部活なんてやってる余裕はなかった。
結局、母の行方は分からないまま、あっという間に一年が過ぎた。
高校二年生になると、生活にも精神的にも余裕が出てくる。ふと立ち止まって新しいクラスを見渡すと、俺は完全に浮いていることに気が付いた。
そりゃそうだ。友達付き合いなんて、誰ともしていなかったから。
それに俺には、他のクラスメートとは大きな違いがあった。
ひときわ目立つこの容姿だ。俺の顔つきは完全に日本人離れしていた。
――彫りが深く高い鼻、そして青い瞳。
『それはね、海人のお父さんが外国人だからなの』
子供の頃、母はいつもそう教えてくれた。
だから、父親は外国に住んでいて、いつか俺に会いに来てくれるものと信じていた。
しかし中学生になって、思いがけないところで真相を知る。叔母の家で、両親の結婚式の写真を偶然見つけてしまったのだ。その写真の中の母の隣で微笑む男性の顔は、明らかに日本人だった。
「えっ!?」
俺は自分の目を疑う。
「父親は外国人だったんじゃ……?」
そう信じて育ってきた。まさか、母が結婚した人が日本人だとは思わなかった。
「それって、もしかして……」
子供がどうやって生まれてくるのか、もう分かっている年頃だ。俺は、母親と戸籍上の父との間にできた子供ではなかったのだ。
「なんだよ。だから家には結婚式の写真が一枚も無いのか」
ショックだった。
何もかもが信じられなくなった。
その日から俺は、母に辛く当たるようになっていた。
「どうして俺は、こんな顔してんだよっ!? 俺の父親はどこの誰なんだよ!?」
「…………」
母は何も語ってくれなかった。
――日本人の夫がいるのに母は外国人とやっちまった。
それが真相であることは誰の目にも明らかだ。だが俺としては、たとえ倫理的に間違っていたとしても、母がそういう選択をした理由を知りたかった。
だってそれは俺の存在理由でもあるわけだから。
「そのうち教えてあげるわ……」
少し大人になった俺を、母は冷めた目で見た。
幼少の頃、俺をずっと見守ってくれた優しい眼差しは失われてしまったのだ。俺がつまらないものを見てしまったばかりに。
そして海をずっと見つめるようになった母を、俺はだんだんと遠ざけるようになった。
中学校を卒業した直後の春休みに、俺は叔母の家に遊びに行く。そして思い切って真相について訊いてみた。
「叔母さん、ちょっと教えてほしいことがあるんだけど……」
真剣な眼差しの俺に、叔母はわずかに身構えた。
叔母はその時、察したのだろう。俺が質問しようとしている内容を。
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