秋の空室
2015-11-07


紅葉が青空を映えさせるのか、それとも青空が紅葉を映えさせるのか。
 車窓の景色に魅せられた俺は、路肩に車を停めて夢中でシャッターを切る。
 ――林道の両側に広がる素晴らしき紅葉。
 それをさらに鮮やかに見せてくれているのは、木々の間から見える青空だった。
「もっと、空が見える場所はないものか?」
 ふと山の方を見ると、登山道らしき山道が林の中へ続いていた。足を踏み入れるとカサカサと落ち葉の音がする。しばらく進むと、わずかに山の稜線が見えてきた。
「もう少し、あと少し……」
 さらに十分くらい歩いただろうか。紅葉に染まる尾根が一望できる開けた場所に出る。谷の紅葉と赤く染まった稜線、そして青空の三者が生み出すハーモニーに、俺は息を飲んだ。
 しかし喜びもつかの間、写真撮影に夢中になっているうちにあれよあれよとガスが立ち込め、たちまち空は厚くて暗い雲に覆われてしまった。ゴロゴロと遠くで雷の音がする。
「ヤバい、これは一雨来るぞ」
 俺が引き返そうとした時はすでに手遅れ。ザザザといきなり叩きつけるような豪雨に襲われ、俺は近くにあったモミジの大木に身を寄せた。
「なんだよ、女心となんとかって言うけど、まさかその通りになるとは」
 一人悪態をついても天候は回復することはない。俺は小一時間ほど、大木の下で雨宿りをすることになった。

 雨は一向に止む気配は無い。それどころか雨足はだんだんと強くなる。辺りもだんだんと暗くなってきた。
「こんなことになるなら、びしゃ濡れになっても降り始めの時に車の所まで戻るんだった……」
 後悔先に立たず。
 せっかく雨宿りを始めてしまったのだから雨が止むまで待とうとその場に留まり続けた俺が本当の後悔をするのは、さらに三十分が経った時だった。ガラガラと聞いたことのない轟音が大地を揺らす。山の方を見ると、バキバキと次々と木がなぎ倒されていた。
「ヤバい、土砂崩れだ!」
 早く逃げないとここも危ない。
 俺は雨の中、登山道を車に向かって走り出した。が、すでに時は遅し。くるぶしに冷たいものを感じた瞬間、俺は大量の水に体をさらわれたのだ。
 思わず近くの木にしがみつく。
 しかし土砂崩れに伴う鉄砲水は、その木もろとも俺を押し流した。俺は必死に木に掴まりながらも意識を失った――

 気が付くと、俺は流された木にしがみついたままゴツゴツした川原に横たわっていた。
 どうやら命は助かったようだ。幸い大きな怪我もなく、足や背中に軽い打撲を負っただけで済んだのは奇跡に近い。
「しかし一体、ここはどこだろう?」
 辺りはすでに真っ暗。ザアザアと流れる川のほとりであることは分かるが、道も灯りも何もない。ポケットからスマホを出すと、水没したためか全く反応しなかった。
「困ったなあ……」
 俺は途方に暮れる。空を見上げると木々の間から星が見えた。どうやら天候はすでに回復しているようだ。
 こうなったら川に沿って下るしか方法は無いだろう。まだ水流が多くて不安だが、人里に出るにはこれが確実だ。
 だんだんと暗闇に目が慣れてきた俺は、川に沿うようにして藪こぎを始めた。

「あっ、灯りだっ!」
 一時間も奮闘しただろうか。手足を傷だらけにしながら、やっとのことで俺は人家の灯りを見つけた。
「しかも温泉!」
 目の前に現れたのは、川に面した温泉宿の露天風呂だった。
「助かったぁ……」
 そのまま露天風呂に入りたい気持ちを抑え、俺は温泉宿の玄関に向かう。そこには『秋山の湯』という看板が掲げられていた。
「すいません。お願いします、どうか泊めて下さい!」
 玄関を開けて俺が必死に叫ぶと、人が良さそうな白髪のおじいさんが出て来た。おじいさんは申し訳なさそうに俺に向かって頭を下げる。
「ごめんなさい、今夜はもう泊まれません」
 もう泊まれないって夜遅いから? それとも満室ってこと? 

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