2010-07-14


街を歩いていた岡野健治は、突然、強い揺れに襲われた。
 ――地震だ。しかも大きい。
 とても立っていられず、健治は歩道に膝をついて四つん這いになる。すると、前方からゴゴゴゴゴという地鳴りと「助けてくれ!」という男の人の叫び声がした。揺れに耐えながら前を見ると、アスファルトから男の人の手だけが地表に飛び出している。どうやらその人は、道に開いた穴に落ちてしまったらしい。辛うじて片手一本で地面を掴んでいるのだが、今にも力尽きそうだ。
「まずい、このままでは落ちてしまう」
 健治は這うようにして穴のところに行き、彼の手を掴もうと手を伸ばした。しかし――
「ああああぁぁぁぁ……」
 健治が掴んだのは彼の上着の袖だった。彼の手はするりと上着をすり抜けてしまい、体は穴に落ちてしまった。健治は穴の中を見ようとしたが、揺れている状況では自分も落ちてしまいそうだ。仕方なく、揺れがおさまるまで健治は地面に這いつくばってじっと我慢した。
 揺れがおさまり健治が立ち上がると、目の前に深い穴が広がっていた。直径は二メートルぐらいだろうか。中は暗くて深さが全く分からない。
「大丈夫ですかーーっ!!?」
 健治は穴の前に跪くと、暗闇に向かって思いっきり叫んだ。しかし返事は何も聞こえない。
 残されたのは、健治が掴んだ男の人の上着だけだった……

 健治が警察と消防に連絡をすると、警察官とレスキュー隊がやってきた。
「僕が手を掴むのが間に合わなくて……」
「その男の人はどんな方でしたか?」
 警察官は健治に状況を質問し、レスキュー隊は穴に梯子を下ろそうとする。
「揺れが強くて、彼の手しか見れなかったんです。そういえば、手の甲に大きな十字の痣がありました」
 それ以上は健治から情報が得られないと警察は判断し、今度は男の唯一の遺留品である上着を調べ始めた。すると胸のポケットから、名刺入れが出てきた。
「名前は……『宋宋 寛』というのか……。変わった名前だな」
 あの男の人は、寛という名前だったんだ。なんとか無事であってほしい。
 そんな健治の願いとは裏腹に、レスキュー隊の梯子はいつになっても底には着かなかった。

 そうこうしているうちに、穴の周りには野次馬が集まってきた。しばらくするとマスコミもやって来て、救助の様子にカメラを向ける。一方、目の前のビルには大型モニターがあり、地震の被害状況を伝えるテレビ番組が流されていた。幸い、揺れによる被害はほとんどなかったようだ。マスコミが到着してから、大型モニターには穴とレスキュー隊の映像が映し出されるようになった。今回の地震の被害者は、今のところ、健治の目の前で行方不明者になった寛という男の人だけらしい。
『本日、午後一時頃に発生した地震によって、』
 午後三時から始まったお昼のワイドショーでも、穴のことが取り上げられていた。ニュースを読んでいるのは、若くて可愛いキャスターだ。
『なんと街の中心部の歩道の真ん中に、』
 穴と救助の様子がモニターに大きく映し出される。
『とつぜん、ウ八が開き……』
 えっ、ウ八? ウ八って……何?

 その頃のテレビ局では――
「お、おい! 誰だ、ニュースの原稿書いたのは?」
「はい、僕ですが」
「今ニュース読んでるキャスターって、この間『旧中山道』を『一日中、山道』って読んだ奴だろ?」
「そうです。だから今回はちゃんと縦書きで原稿を書いたんですよ」
「ちょっと下書き見せてみろ――バカヤロー、縦に長すぎるんだよ、お前の字は!」
「すいません、生まれつきなもんで」
「悠長に謝ってる場合じゃねえぞ。ストップ、ストッープ! 今すぐニュース止めさせろ!!」

『ウ八におちた方のおなまえは、ウ木ウ木ウ……』


[競作作品]
[変な小説]

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